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数珠とは|意味・歴史・各部の名前・選び方・正しい使い方がすべてわかる完全ガイド

お葬式やお墓参りのとき、誰もが一度は手にしたことのある数珠。けれども、こう聞かれると、はっきり答えられる人は意外と少ないものです。

「その玉は、いくつあるのですか」 「なぜ、その数なのですか」 「右手と左手、どちらに持つのが正しいのですか」

数珠は、仏教の長い歴史の中で磨かれてきた、深い意味を持つ仏具です。一つひとつの玉に名前があり、仏さまや菩薩さまの姿が宿っています。意味を知って手にすると、同じ数珠が、まるで違うものに見えてきます。

この記事では、高野山真言宗の庵である金光明庵の視点から、数珠の意味、起源の物語、各部の名前、種類、選び方、そして使い方の基本までを、ていねいにご案内します。仏教にくわしくない方が読んでも、最後まで楽しんでいただけるように書きました。読み終えるころには、あなたの手元の数珠が、ぐっと愛おしく感じられるはずです。

目次

数珠とは何か。一言でいうと

数珠とは、仏さまや菩薩さまをおがむときに、手にかけて用いる仏具です。糸を通した小さな玉を輪のかたちにつないだもので、仏教の正式な道具として、宗派を問わず使われています。

「数珠」と「念珠」。じつは呼び名が二つある

ここで、はじめに大切なことをお伝えしておきます。この仏具には、呼び名が二つあります。一つは、いま使っている「数珠(じゅず)」。もう一つが「念珠(ねんじゅ)」です。

そして、私たち真言宗では、これを「数珠」ではなく「念珠」と呼ぶのが正式です。金光明庵でも、念珠と呼んでいます。

なぜでしょうか。念珠とは「仏を念じる珠」と書きます。真言宗では、仏さまにささげる真言(しんごん)を、何度も何度もとなえます。そのとなえた数を、珠を一つずつ繰って数える。真言を念じ、その数を数えるための珠だから、念珠なのです。「数珠」という字も、もともとは「数を数える珠」という、この役割を表したものです。

つまり数珠(念珠)は、ただの飾りでも、お守りのアクセサリーでもありません。自分の心と、仏さまの世界とをつなぐ掛け橋なのです。輪に手を通すことは、仏さまの世界に手を差し入れること。そう考えると、手にも、自然と背すじが伸びてきます。

この記事では、多くの方が親しんでいる「数珠」という言葉を入口に使いながら、真言宗にかかわるお話では「念珠」と呼んでいきます。同じ仏具の、二つの名前。そう思って読み進めてください。

そして数珠は、昔から「持ち主の分身」とも言われてきました。一つひとつの玉が、自分の煩悩を引き受けてくれるお守りであり、おがむたびに功徳が積まれていく。だからこそ、人から借りるものではなく、一人ひとりが自分のものを持つべき仏具とされてきました。これは後ほど、作法のところでくわしくお話しします。

数珠の起源。一つの物語から始まった

数珠はどこから来たのでしょうか。その起源は、一つのお経の中の、心を打つ物語に語られています。『仏説木槵子経(ぶっせつもくげんじきょう)』というお経です。四世紀から五世紀ごろに成立したとされています。

苦しむ王と、お釈迦さまの教え

むかし、波瑠璃(はるり)という小さな国がありました。国力が弱く、兵も少ない。盗賊が次々と襲ってきて、国内には疫病まで広がっていました。王さまは、夜も眠れぬほど苦しんでいました。

王の使いがお釈迦さまのもとを訪ね、こう願い出ます。

「どうか、私たちの国を救う教えをお授けください。けれども私たちには、毎日たくさんの修行をする時間も余裕もありません。寝ても覚めても、楽になれる道はないのでしょうか」

お釈迦さまは深く心を痛め、こう答えられました。

「では、木槵子(むくろじ)という木の実を百八個つなぎ、いつも身につけて持ちなさい。そして、心を込めて『仏・法・僧』の三つの宝の名をとなえながら、その玉を一つずつ繰っていきなさい。それを続ければ、心の迷いも、苦しみも、少しずつ消えていくでしょう」

これが、数珠のはじまりとして語りつがれている物語です。むずかしい修行ができなくても、玉を繰りながら仏を念じれば、誰でも心の平安に近づける。数珠は、特別な人だけのものではなく、苦しむすべての人に開かれた救いの道具として生まれたのです。

ちなみに「木槵子」とは、お正月の羽根つきで、羽根の先についている黒くて固い玉、あのムクロジの実のことです。意外と身近なところに、数珠のルーツは残っています。

玉の数や意味が、しだいに整っていった

数珠の功徳を説くお経は、ほかにもあります。『校量数珠功徳経(こうりょうじゅずくどくきょう)』もその一つで、百八個を基本としながら、五十四個、四十二個、二十一個といった数珠を持つことをすすめ、なかでも水晶でつくった数珠を最上の素材としています。

このように、長い時間をかけて、数珠は玉の数や一つひとつの意味づけが整えられ、仏教になくてはならない法具となっていきました。

日本へは、仏教とともにやってきた

数珠が日本に伝わったのは、仏教の伝来とほぼ同じ時期だといわれています。奈良の正倉院には、聖徳太子が愛用したと伝わる蜻蛉玉(とんぼだま)の数珠や、聖武天皇の遺品とされる水晶と琥珀の数珠が、今も大切に保管されています。

ただし、当時の数珠は、僧侶や貴族など、ごく一部の人だけが持てる貴重なものでした。それが一般の人々にまで広く親しまれるようになったのは、鎌倉時代以降のこと。仏教が庶民の暮らしに根づくとともに、数珠も身近な存在になっていったのです。

そして、私たち金光明庵がよりどころとする真言宗の正式な念珠は、宗祖である弘法大師・空海が、唐(中国)で密教を学び、日本へ持ち帰って伝えたものと語りつがれています。一つの念珠の背後に、千二百年を超える時間と、海を渡った祈りの歴史が流れているのです。

なぜ「百八」なのか。煩悩の数のお話

数珠の基本の玉数は、百八です。この数には、深い意味が込められています。

百八とは、人間の煩悩(ぼんのう)の数を表すといわれます。煩悩とは、心をかき乱し、苦しみを生み出す欲やこだわりのこと。腹が立つ、うらやむ、もっと欲しい、不安でたまらない。私たちの心には、そうした迷いが数えきれないほど湧いてきます。それを象徴的に「百八」と表したのです。

なぜちょうど百八になるのか。これには、いくつかの伝統的な数え方があります。代表的な説の一つが、次のような考え方です。

人間には六根(ろっこん)という、六つの感覚の入り口があります。目・耳・鼻・舌・身(からだ)・意(こころ)の六つです。この六つそれぞれに、「気持ちのよい・気持ちの悪い・どちらでもない」の三種類の受け取り方があり(六×三=十八)、さらにそれぞれに「きれい・きたない」の二種類が加わり(十八×二=三十六)、そして過去・現在・未来の三つの時間にわたって生じる(三十六×三=百八)。こうして百八になる、という数え方です。

数え方には諸説ありますが、いずれにせよ、百八という数は「人の迷いのすべて」を象徴していると考えてよいでしょう。

そして大切なのはここからです。玉を一つずつ繰りながら仏を念じることは、百八の煩悩を、一つずつ静めていく行いにほかなりません。数珠は、煩悩の数だけ玉があり、その玉を繰るたびに、心が少しずつ整っていく。数珠を持つことは、自分の心と向き合う修行そのものなのです。

ちなみに、お寺で大みそかに鐘を百八回つく「除夜の鐘」も、この百八の煩悩を一つずつ祓うという意味から来ています。数珠と除夜の鐘は、同じ祈りの心でつながっているのです。

数珠の各部の名前と意味

数珠は、ただ玉を丸くつないだものではありません。一つひとつの玉に名前があり、それぞれに仏さまや菩薩さまが宿っています。ここでは、本式の数珠を例に、主な部分の名前と意味を見ていきましょう。意味を知ると、数珠が小さな仏の世界、いわば手のひらの上の曼荼羅であることがわかります。

主玉(おもだま) … 数珠の中心となる、百八個の玉です。先ほどお話しした百八の煩悩、そしてそれを乗り越えた先にある百八の仏さま(百八尊)を表します。数珠の主役といえる玉です。

親玉(おやだま)/母珠(もしゅ) … 玉の中でもひときわ大きく、房がついている玉です。阿弥陀如来、または釈迦如来を表す、数珠の中心となる存在です。本式の数珠では二つあり、房や弟子玉がついている方を親玉、もう一方を中玉(向かい玉)と呼ぶこともあります。

四天玉(してんだま) … 主玉のあいだに入っている、小さな四つの玉です。仏法を守る四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)、あるいは四菩薩(観世音・弥勒・普賢・文殊)を表すといわれます。この四天玉には実用的な役割もあります。真言や念仏を「七回」「二十一回」と数えるときの、目印になるのです。

弟子玉(でしだま)/記子玉(きしだま) … 房の部分についている小さな玉で、ふつうは二十個です(日蓮宗だけは四十個)。お釈迦さまの十大弟子や、菩薩が実践する十波羅蜜(じっぱらみつ)という十の徳目を表すといわれます。

露玉(つゆだま) … 弟子玉の下についている、しずく型の玉です。弟子玉が抜け落ちないように留める役割を持っています。

浄明玉(じょうみょうだま)/浄名玉 … 親玉のすぐ下、房の一番上にある玉です。菩薩を表すとされ、数珠を清らかに保つ意味があるといわれます。

中通しの紐 … すべての玉を貫いてつないでいる紐です。観音菩薩を表すといわれます。一見、ただの紐に見えますが、ここにも仏さまの姿が重ねられているのです。

房(ふさ) … 親玉から垂れ下がる、ふさふさとした飾りの部分です。見た目の美しさだけでなく、数珠全体の格を整える大切な部分です。

こうして見ていくと、数珠とは仏さま・菩薩さま・お弟子さまが、糸という縁で一つにつながった、小さな仏教世界であることがわかります。手のひらに乗るほどの輪の中に、これほど豊かな意味が込められているのです。

数珠の種類。本式・略式・腕輪念珠

数珠には大きく分けて、三つの種類があります。

本式数珠(本連数珠)

百八個の主玉でつくられた、正式な数珠です。「本連(ほんれん)」とも呼ばれます。宗派ごとに玉の数や房の形が厳密に決まっていて、それぞれの教えにかなったかたちをしています。最もフォーマルで、格の高い数珠です。

略式数珠(片手念珠)

玉の数を簡略にした、一重で使いやすい数珠です。百八の半分の五十四玉(半連)、四分の一の二十七玉(四半連)など、長さの短いものがあります。最大の特徴は、宗派を問わず使えること。携帯にも便利で、現在ではこの略式数珠が最も広く普及しています。自分の宗派がわからない方や、最初の一本を選ぶ方には、この略式数珠が安心です。

腕輪念珠(ブレスレット型)

手首につけられる、ブレスレットのような数珠です。お守りやファッションとして身につける方も増えています。ただし、これはあくまで日常用のもの。お葬式や法要などの正式な場では、本式または略式の数珠を別に用意するのが基本です。

真言宗の念珠。金光明庵が用いる「振分念珠」

金光明庵がよりどころとする真言宗では、ほかの宗派にくらべて、特に念珠を大切にしてきた伝統があります。それは、真言密教の修行において、真言や陀羅尼(だらに)を何百回、何千回ととなえるため、その数を正確に数える念珠が欠かせなかったからです。「念珠」という呼び名がこれほどしっくりくる宗派は、ほかにありません。

真言宗の正式な念珠は、「振分念珠(ふりわけねんじゅ)」と呼ばれます。長い一連の念珠を二重にして用いることから、この名がついたといわれます。その構成は、おおよそ次のようになっています。

主玉が百八個、親玉が二個、四天玉が四個、浄名玉が一個、弟子玉(記子)が二十個、露玉が四個、そして四つの房がついています。四天玉は、親玉から数えて七つ目と二十一個目に配置されていて、これがちょうど、真言を七回・二十一回と数えるときの目印になります。

真言宗では、これらの玉に、密教ならではの深い意味づけがなされています。百八の主玉は金剛界の百八尊を、中心の親玉は宇宙の根本仏である大日如来の智慧を、四天玉はそれを取り囲む四方四仏や四菩薩を表すという解釈です。一つの念珠の中に、密教の宇宙観そのものが描かれているといってもよいでしょう。

なお、この真言宗の振分念珠は、日蓮宗以外の多くの宗派でも共通して使えるため、本式の念珠を一本だけ持ちたいという方にも選ばれることがあります。

宗派による数珠の違い

本式の数珠は、宗派ごとに形が異なります。ここでは主な宗派の特徴を、おおまかにご紹介します。

真言宗 … 振分念珠。百八玉を二重にして用います。念珠を特に重んじる宗派です。

浄土宗 … 二つの輪を組み合わせた、独特の形の数珠(日課数珠)を用います。念仏の回数を数えるための工夫がこらされています。

日蓮宗 … 弟子玉が四十個と多く、独特の形をしています。

浄土真宗 … 念仏の回数を問題にしないため、玉を繰ったり摺り鳴らしたりはしません。仏前での敬いの心を表すものとして、手にかけて用います。

天台宗 … 主玉に、そろばんの珠のような平たい形の玉を使うことが多いのが特徴です。

曹洞宗 … 金属の輪(環)が通っているのが特徴です。

臨済宗 … 看経(かんきん)念珠と呼ばれる数珠を用います。

そして、略式数珠は宗派を問わず使えます。どの宗派の葬儀や法要に参列するか迷ったときは、略式数珠を持っていけば失礼になりません。なお、合掌のときの細かな持ち方や房の向きは宗派ごとに作法が分かれます。そのくわしい違いは、後ほどご案内する持ち方の記事でまとめています。

数珠の選び方。失敗しない五つのポイント

はじめて数珠を選ぶとき、何を基準にすればよいか迷うものです。次の五つのポイントをおさえておけば、まず失敗しません。

一つ目、本式か略式か。 いろいろな宗派の場に出る機会が多い方や、最初の一本を選ぶ方には、略式数珠が無難でおすすめです。自分や家の宗派がはっきりしていて、より正式なものを持ちたい方は、その宗派の本式数珠を選びましょう。

二つ目、男性用か女性用か。 数珠には男女の区別があります。一般に、男性用は玉が大きめ(直径十ミリから十二ミリほど)、女性用は玉が小さめ(六ミリから八ミリほど)につくられています。お子さま用には、小さくて割れにくい素材のものもあります。

三つ目、素材を選ぶ。 数珠の素材には、大きく分けて「木の実」と「天然石」があります。木の実では、菩提樹(金剛菩提樹、星月菩提樹など)が代表的です。お経の中では、菩提樹の実が最上の素材とされてきました。天然石では、水晶、瑪瑙(めのう)、翡翠(ひすい)、虎眼石などがあります。なかでも水晶の数珠は、特に大きな功徳があるとされ、古くから尊ばれてきました。

四つ目、色や見た目で選んでよい。 素材や色には、これでなければならないという厳しい決まりはありません。手になじみ、心が落ち着くものを選ぶのが一番です。長く付き合う、自分だけのお守りになるのですから。

五つ目、迷ったらお店の人に相談する。 仏具店では、宗派や用途を伝えれば、ふさわしい数珠を案内してくれます。一生ものになることも多い品です。納得のいく一本を、じっくり選びましょう。

数珠の持ち方。まずは基本だけ

数珠を手にしたら、まず最低限の持ち方を覚えておきましょう。むずかしく考える必要はありません。

略式数珠は、ふだんは左手に輪を通し、房を下に垂らして持ちます。合掌するときは、左手に輪を通したまま右手を合わせるか、合わせた両手にいっしょに輪をかけ、房は真下へ垂らします。これだけで、どの宗派の場でも失礼になりません。

本式念珠(真言宗の振分念珠)は、二重にして、浄明玉のある側の輪を左手の人差し指に、もう一方を右手の中指にかけ、一ひねりして合掌し、房は外側(手の甲)へ垂らします(高野山真言宗の作法。流派により異なります)。

そして、最も大切なマナーが一つ。数珠の貸し借りはしないことです。数珠は持ち主の念が移る、その人だけの分身。家族のあいだでも、一人に一つを持ちましょう。席を離れるときは、椅子や畳に置いたままにせず、バッグやポケットにしまいます。

なお、宗派ごとの細かな持ち方や房の向き、焼香のときの持ち方、そして腕にかけるときは一重・持ち歩くときは二重・置くときは三重という正式な扱い方については、別記事「数珠の正しい持ち方(宗派別)」でくわしく解説しています。あわせてお読みください。

よくある質問

数珠の紐が切れてしまいました。縁起が悪いのでしょうか。

ご心配いりません。古くから、数珠の紐が切れることは「悪い縁が切れた」しるしとも言われ、むしろ良いこととして受け止められてきました。今の数珠は素材も丈夫で、めったに切れません。もし切れたら、修理に出すこともできますし、人生の節目として新しい数珠に新調する方も多くいらっしゃいます。古い数珠は、お焚き上げ供養でていねいに送るとよいでしょう。

急に必要になりました。安いものでも大丈夫ですか。

問題ありません。大切なのは値段ではなく、仏さまをおがむ心です。どうしても用意できないときは、まず略式数珠を一本持っておくと安心です。

神道やキリスト教のお葬式にも持っていくべきですか。

数珠は仏教の仏具ですので、神道やキリスト教のお葬式には必要ありません。その場の作法にしたがいましょう。

自分の家の宗派がわかりません。どうすればよいですか。

宗派がわからないときは、略式数珠を選べば、どの宗派の場にも持っていけます。まずは一本、略式数珠を用意しておくとよいでしょう。

庵主・恒純より。念珠にまつわる、ちょっと深いお話

ここからは、真言宗の僧侶として、少しだけ踏み込んだお話をさせてください。念珠を知れば知るほど面白くなる、密教ならではの世界です。

「百八玉」と言うけれど、本当はもっとある

数珠は百八の玉でできている。そうお伝えしてきました。けれども、真言宗の本式念珠を一つひとつ数えてみると、不思議なことに気づきます。百八では、おさまらないのです。

主玉が百八。それに加えて、両端を束ねる親玉が二つ。真言の数を区切る四天玉が四つ。房に振り分けられた弟子玉が二十。それを留める露玉が四つ。そして、清らかさを表す浄明玉が一つ。これらをすべて合わせると、真言宗の念珠は、全部で百三十九の玉でできているのです。

つまり、表に立つ百八の主玉のまわりには、三十一もの玉が、目立たないところからそっと支えていることになります。煩悩を表す百八の玉。それを束ね、区切り、清め、留める、名もなき玉たち。考えてみれば、これは私たちの暮らしによく似ています。迷い多き私という一人の人間も、家族や、ご先祖や、支えてくれる誰かの、見えない手に束ねられて、ようやく一つの輪になっている。念珠は、人が一人では生きられないことを、玉のかたちで教えてくれているのです。

数えるための念珠。五十四を、折り返す意味

そもそも真言宗の本式念珠は、真言を数えるための道具です。先ほどお伝えしたとおり、念珠という名は、ここから来ています。

では、百八の真言を、どう数えるのか。じつは、百八の玉をぐるりと一周、一度に数えていくのではありません。中心の親玉を境にして、片側に五十四、もう片側に五十四。まず片側を五十四数えたら、親玉のところで折り返し、もう片側を五十四数えて、合わせて百八にする。これが、真言宗の数え方です。

ここに、深い意味があります。親玉は、宇宙の根本仏である大日如来を表します。数を数える行は、まっすぐ一直線に進むのではなく、五十四ごとに、かならず大日如来のもとへ立ち返る。行きつ、戻りつ、また仏のもとへ帰ってくる。何度迷っても、何度つまずいても、かならず仏のもとへ帰っていく。その心の姿が、この折り返しに刻まれているのです。

四天玉が、親玉から七つ目と二十一個目に置かれているのも、同じ心づかいです。七回、二十一回と、節目で指が小さな玉に触れる。数を見失っても、玉が教えてくれる。真言を一心に唱える行者が、迷わず仏に向かえるように。一つの念珠の中に、迷う私たちを仏のもとへ連れ帰る、細やかな道しるべが組み込まれているのです。

念珠を「摺る」、密教の作法と、人を思う心

もう一つ、真言宗ならではの、とても大切な作法があります。それが、念珠を摺(す)って音を立てることです。法要の場で、お坊さんが念珠をジャラッと鳴らすのを、見たことがあるかもしれません。あれは、ただの合図ではありません。

『金剛瑜伽念珠経(こんごうゆがねんじゅきょう)』には、念珠をすり合わせて鳴らすことで、百八の煩悩をすり砕き、清らかな慈悲と智慧で心を磨き出す、と説かれています。

そして、ここからが密教の奥深いところです。摺るときは、右手を上にして、奥へ、手前へ、また奥へと、三回摺ります。この「奥・手前・奥」には、はっきりとした意味があります。向こう側(奥)へ摺るのは、相手のため。手前へ摺るのは、自分のため。つまり「奥・手前・奥」とは、「相手・自分・相手」。人のための祈りを先に置き、最後もまた、相手を思う祈りで結ぶのです。これを「利他行(りたぎょう)」、人のために尽くす行いといいます。

おもしろいことに、自分一人のためだけに祈るときは、これが逆になります。最後は手前、つまり自分で結ぶのです。ですから、お坊さんが葬儀や法事で念珠を摺るとき、その手は、亡くなった方のため、残されたご家族のため、自分よりも先に、相手を思う心で動いています。たった三度の摺り合わせ。その小さな所作の中に、自分のことより人を思う、密教の祈りの心が、確かに込められているのです。

念珠は、ながめる仏具ではありません。手で繰り、指で数え、摺り鳴らす。全身を使って仏とつながり、人を思う、生きた法具なのです。あなたの手の中の念珠も、ただそこにあるだけで、いつでもあなたと仏さまをつなぐ準備をして、静かに待っています。

おわりに。数珠は、あなたと仏さまを結ぶ縁

ここまで読んでくださったあなたの手元に、もし数珠があるなら、もう一度そっと手に取ってみてください。

一つひとつの玉に、仏さまがいます。菩薩さまがいます。お釈迦さまのお弟子たちがいます。それらを貫く一本の紐は、観音さまのお姿。あなたが手にするとき、あなたはこの小さな仏の世界と、確かに手をつないでいるのです。

数珠は、特別な日のためだけの道具ではありません。心がざわついた朝、眠れない夜、ふと手に取って玉を繰る。それだけで、ささくれだった心が、少しずつ静まっていきます。百八の玉は、百八の迷いを、一つずつ受け止めてくれるのですから。

金光明庵は、弁財天をご本尊とし、人々の祈りと願いを仏さまへお届けする庵です。数珠や念珠について、供養について、どんな小さなことでも、迷ったときはどうぞお声をおかけください。

あなたの手の中の念珠が、これからの日々を照らす、やさしい灯りになりますように。

合掌

※本記事は一般的な見解を示しているものです。実際には、各宗派や各寺院によってそれぞれ違いがあります。また、口伝といって、お師匠様から直接教わっていることがあり、ここで紹介したものと異なる場合があります。しかしながら、それらのどれも間違っているということではありません。本記事は、学術的な見解を示すものでも、修行者に向けて専門的な情報を提供するものでもありません。あくまで、これから仏事にふれる一般の方が、安心して手を合わせられるよう、わかりやすさを第一にまとめたものです。

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